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忠南儒学のルーツを伝える
朝鮮王朝後期の古宅が残る

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忠南儒学のルーツを伝える
朝鮮王朝後期の古宅が残る

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そさん瑞山

瑞山は高麗時代に帰化した南宋の官僚・鄭 ちょんしんぼ 臣保が残した忠南儒学のルーツを大切に継承して来た都 市です。鄭臣保は韓国初の朱子学者とされる安 あんひゃん 珦よりも50年以上前に性理学を朝鮮に伝え、息子の 鄭 ちょんいんぎょん 仁 卿とともに瑞山鄭氏の始祖になりました。
さらに瑞山は慶州金氏や瑞山柳氏などが19世紀以降に建てた魅力的な伝統的な両班家屋をよく保存し ている都市です。ひさしの曲線の変化やソウルの雲 うにょんぐん 峴宮を模倣した両班家屋の黄土色の塀、そして瑞山 の在地士族の歴史を見守って来たカヤの木などはいつまで見ても見飽きない美しさです。

유관순열사유적지

王后の生家と隣接した そさんきょんじゅきむしけあむ瑞山慶州金氏渓岩古宅

유관순열사생가

ハンダリ村という名称は瑞山慶州金氏の「ハンダリ金氏」という別称 に由来します。瑞山慶州金氏はここに根を下ろし、瑞山を代表する家 門に成長しました。瑞山慶州金氏は数十名の政丞(高位官僚)と独立運 動家を輩出した名門です。秋 ちゅさ 史・金 きむじょんひ 正喜もここの出身で、渓岩古宅 の柱に貼られた書は彼の作品として伝えられています。

渓岩古宅に隣り合う英祖 の継妃・貞 じょんすん 純王后生家

貞純王后生家は51歳も年上の 英 よんじょ 祖と結婚し王妃になった貞純王 后が生まれた生家です。この家は 植民地期に独立運動家として活動 した白 ぺんりむ 林・金 きむよんふぁん 用煥が生まれ育った 場所でもあります。


所在地 | 忠清南道瑞山市音岩面ハンダリキル45
時期 | 1800年代中盤
用途 | 住居

면천향교

瑞山の春の行楽地 ゆきばん柳基坊家屋

팔괘정전경

そさん 山余 よみり 美里にある柳基坊家屋は植民地期に建て られた伝統家屋で、松の木が鬱蒼と茂る小山を背 景に傾斜地に沿って瓦を載せた土壁がぐるりと取
り囲んでいます。古宅のある場所は400年以上前に 定 ちょんじょん 宗の四男の子孫が住んだ所で、100年前に柳基 坊の祖父が家を新築して以来、4代にわたり受け継 がれた家です。

ここの魅力は何よりも春に家屋の四方に埋め尽く される水仙の花で、その頃になると見物客でにぎわ いを見せます。


所在地 | 忠清南道瑞山市雲山面イムンアンキル72-10
時期 | 1900年代初め
用途 | 住居

유상묵가옥

端正な味わい ゆさんむく柳相黙家屋

유상묵가옥유상묵가옥유상묵가옥

不事二君, 柳相黙の先祖, 天文学者の柳 ゆうばんてく 方澤

柳相黙は琴 くもん 軒・柳方澤の子孫です。柳方澤は 天文学に精通し、今日の気象庁長官に当たる 判書雲観事を歴任しました。しかし高麗王朝 が滅亡し朝鮮王朝が開かれると、高麗王朝の 臣下として忠誠を誓い、隠遁生活に入りまし た。しかし、朝鮮王室は新王朝にふさわしい天 文図を製作しようと柳方澤に執拗に依頼し、 彼は仕方なく再び官僚になり、新しい天文図 を製作しました。それが今日国宝に指定されて いる「天 ちょんさんよるちゃぶにゃちど 象列次分野之図」です。


そりょん 寧柳 ゆうし 氏の22代目の子孫である柳相黙は一代で 富を築き、余 よみり 美里の現在の家に居を移しました。 柳 ゆきばん 基坊とは従兄弟の関係です。

柳相黙家屋は植 民 地期の192 5年にソウルの 雲 うにょんぐん 峴宮を模倣して建てられたものと伝えられます が、両班の伝統家屋としては珍しい形式を取って おり、ガラス窓を外側に付け、サランチェ(男主人の 居間)の前には日本式とおぼしき庭園を設けていま す。とはいえ、厳格な儒教的原理にのっとり、サラ ンチェとアンチェ(女性の部屋)を塀で分離し、入り 口も別に設けています。本棟の後ろは半円形の土 壁に囲まれていますが、これも珍しい形式です。


所在地 | 忠清南道瑞山市雲山面イムンアンキル32-12
時期 | 1925年
用途 | 住居