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民衆と苦楽を分かち合った朴 ぱくちうぉん 趾源 よみんどんらく与民同楽

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약도

民衆と苦楽を分かち合った朴 ぱくちうぉん 趾源
よみんどんらく与民同楽

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たんじん唐津

忠清南道唐津は民衆を愛し、苦楽を共にする「与民同楽」を実践した燕 よなむ 巌・朴 ぱくちうぉん 趾源にゆかりのある場所 です。朴趾源は民衆の生活が向上するように実用的な学問を探求し、先入観を排し清の新学問を学ばな くてはならないと唱えた実学者でした。
彼が沔 みょんちょん 川郡守を務めていた時、煩雑な儀礼の簡素化に努め、民衆の負担を軽減し、凶作の年には私費 も投じて飢えに苦しむ者に穀物を分け与えました。また農業に関する改革論を記した『課 くぁのんそちょ 農小抄』を正 祖に献じました。

유관순열사유적지

過去と現在が共存する みょんちょんうぷそん沔川邑城

たんじん 津は昔から瑞 そさん 山や泰 てあん 安とともに中国に通じる主 要な海路があった場所で、国防の要衝でした。外 敵の侵入に備えるために築いた沔川邑城は城郭が 村を取り囲んでいて、朝鮮王朝後期まで村の軍事と 行政の中心として機能しました。

現在沔川邑城の村は過去と現在が共存する観光ス ポットとして注目されています。

こるじょんじこんごんいるちょじょん骨井池と乾坤一草亭

骨井池は沔川邑城の東門近くにある池です。実学者の朴 趾源が3年間、沔川郡守としてここに滞在していた時、放置 されていた骨井池を整備し、農業用水に活用しました。 朴趾源は骨井池の中央に人口の島を作り、その上に民衆の 厳しい生活を思いやり、民衆を愛する思想を込めた「乾坤 一草亭」を建て、石橋でつなげました。 「乾坤一草亭」とは杜甫の詩から取ったもので、天と地の 間の小さなあずま屋を意味します。ここには近隣の沔川郷 校の儒生が訪ね、詩を詠じ学問を研鑽したと伝えられてい ます。


所在地 | 忠清南道唐津市沔川面城上里930-1
時期 | 1290年(忠烈王17)築城
用途 | 防禦

면천향교

みょんちょん沔川の伝統的教育機関 みょんちょんひゃんぎょ沔川郷校

1392年に建てられたものと推定される沔川郷校は 他の郷校とは異なり、創建当初から位置を変えず に継承されて来た珍しい郷校です。

建物の配置は儒学を学ぶ講堂である明倫堂から内 三門を経て、孔子をはじめとした中国と韓国の先賢 たちの位牌を奉安した祭祀空間である大成殿に至 るまで一直線に続く「前学後廟」の形式にのっとっ ています。


所在地 | 忠清南道唐津市沔川面東門2キル36-7
時期 | 1392年(太祖)
用途 | 教育、祭祀