
世宗特別自治市は4大都市の文化が出会う場所です。ここは朝鮮時代から畿湖学派の本拠地である論 のんさん 山 及び公 こんじゅ 州とも盛んな交流がありました。高麗時代から継承されて来た両班の宗家のみならず忠清儒学を 一層発展させた儒学者と忠義を尽くす人物を多く輩出し、儒学の伝統を脈々と受け継いで来ました。


世宗特別市政府総合庁舎の近くに位置する草廬歴 史公園は畿湖学派の代表的人物であり、改革思想 家として評価されている草廬・ 李惟泰の墓地を中 心に、彼を祀る葛山書院と草廬記念館がある歴史 的文化空間です。。
李惟泰は 金 きむじゃんせん 長生の門下生として 宋 そんじゅんぎる 浚吉 や 宋 そんしよる 時烈 とともに性理学と礼学を学びました。1636年の丙 子胡乱で朝鮮が清に屈服するや否や官職を辞し、 後進の教育に専念しました。1649年に彼は 孝 ひょじょん宗 の北伐政策を補佐するために朝廷に復帰しました が、国家の将来に利する政策ではないことを悟り、 再び山林に下り、時代を透徹する進歩的な改革思 想を研究しました。
所在地 | 世宗特別自治市トウム1路40
時期 | 1694年(肅宗20)
用途 | 教育、祭祀
韓国史上最高の上奏文 己 きへぽんさ 亥封事
李惟泰の墓前には「己亥封事」の上奏 文が刻まれた碑石が立っています。4万 字を越える己亥封事は李惟泰が上奏 したもので、身分差を緩め能力と能率 を優先する進歩的な政治改革をとなえ た、韓国史上最高の上奏文として評価 されています。




馬がくわえて来た足を埋めて墓にした場所, ハンダリ(片足)伝説
金宗瑞には息子のように大切にしていた馬が1匹いまし た。主人が殺害されるや、その片足をくわえながら、彼の 故郷まで昼夜を問わず駆け抜け、力尽きて死んでしまい ました。馬がくわえて来た片足はここに埋められたという 伝説が伝えられています。こうしてこの村は「ハンダリ(片 足)」と呼ばれるようになりました。
端 たんじょん 宗に仕えた忠臣の金宗瑞は王位を武力で奪い取 ろうとした世 せじょ 祖によって殺されました。これを防ご うとして、やはり殺された彼の息子二人の忠孝を称 える旌 じょんにょ 閭碑もこの墓域に立てられています。
金宗瑞は世 せじょん 宗の代に女真族が頻繁に侵入した北 方地域で敵を退散させ、豆満江まで国境線を拡張 する大きな功績を立てました。元々文科の科挙に 合格した文臣で、文章力も卓越しており、『高麗史 節要』や『世宗実録』などの編纂にも加わりまし た。
所在地 | 世宗特別自治市将軍面大橋里山45
時期 | 1764年(英祖22)
用途 | 墓域